親子間のトラブルの解消を目指して、これまで「コミュニケーションの“ずれ”」が喧嘩やトラブルの原因であるケースについて、2回にわたり検討してきました。
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これまでの2回は、「“言葉”による“働きかけ”」よって親子喧嘩が起きてしまう際の、“親側”の問題について考えてみました。
今回の「ブログ・その3」では、親からの「“言葉”による“働きかけ”」を受け取る“子ども側”の問題について、考えてみることにしました。
ご参考になればと思います。
はじめに。
これまでの「ブログ・その1」と「ブログ・その2」では、子どもをしつけたり教育したりする場面で起きてしまう、親子間の喧嘩やトラブルの「原因」が、“親”の側にあるケースについて考えてきました。

そこで、今回の「ブログ・その3」では、親が発する「言葉がけ」を受け取る、“子ども側”の問題について考えてみます。
子どもの“自立”に向けて、親が子どもに“教えなければならない”こと。
親は子どものためを思って、子どもに「〇〇しなさい」と言うものです。子どもも「親の言ったとおりに行動していれば大きな失敗がない」と言うことを、このような親子の関りの中で学び取っていきます。
このように親の言ったとおりの行動をしてきた子どもであっても、いつまでもずっと素直に行動してくれるわけではありません。
ある時期になると、それまで従順だった子どもが、急に親の言うことを聞かなくなってきます。
これは「自我」が芽生え始めてきた段階に、子どもが進んだことを表していることは、よく知られています。
確かにわが子が「正常な発達をたどっているのだ」と分かったとしても、実際このようなわが子を前にすると、親としては「わが子が自分に対して“嫌がらせ”や“当てつけ”をしているのではないか?!」などと、思えてしまったりもするものでしょう。

心理学では子どもの成長を、発達の階段を子どもが一段ずつ上っていくようなイメージでとらえます。
すると、これまで親の言うことを素直に従っていた子どもが、急に「僕がやる!」「わたしにさせて!」と言い出して、親の言うとおりにやらなくないます。
この段階がいわゆる「反抗期」です。

「反抗期」は、発達上は大きく2回起きると言われています。
一つは「第一次反抗期」と呼ばれるものです。これは「イヤイヤ期」とも呼ばれ、「1歳半から3歳ころ」に起きるものです。
もう一つが、「第二次反抗期」と呼ばれるもので、「11歳から17歳ころ」までの「思春期」で起きます。
子どもの側に起きる「親から『〇〇しなさい』といわれても、私は『××したいの!』」という気持ちは、「親からの“自立の欲求”」の表れです。
この「自立の欲求」は、「第一次反抗期」を迎えた子どもの中にも、すでに沸きあがっています。
子どもの成長を「発達の階段を上るようにとらえる」とお話ししましたが、この「第一次反抗期」でも「第二次反抗期」でも、それぞれの段階で子どもは「親からの自立の欲求」を行動で親に訴えようとするものです。
従って、その段階に来た子どもに対して、親もその段階にふさわしい「親子の“関係”の取り方」を、学ばなければならないのです。

ところで、動物にも「親からの“自立の欲求”」はあります。
人間も動物と同じように、成長するにつれて「自立の欲求」が起きてくるものです。
しかし、私たち人間は動物と大きな違いがあります。それは、人間はいつでもどこでも「自分の“欲求”のまま」に過ごすことが許されないと言うことです。
そのために、子どもの発達の段階ごとに、親が子どもに「自分の取った“行動”に対して“責任”を負わなければならない」ということを、教え込まなければならないのです。
「親からの“自立の欲求”」は、子どもがその年齢に達すれば、自然に沸き起こってくるものです。
しかし「自分の“行動”に“責任”を持つ」と言う気持ちが起き、その行動がとれるようになることは、子どもの側に自然の起きるものではありません。
これは、親が子どもにその段階ごとに「教え込まなければならないこと」なのです。

「反抗期」と言う言葉を耳にされた方も多いと思います。
世間では「“第二次反抗期”が起きる“思春期”が、子育てで一番大変な時代だ」などと言われたりもします。
そのため、思春期を迎えた子どもを抱える親御さんの中には、「うちの子もいよいよ“反抗期”を迎るから、“好き勝手することは許されないんだ”と言うことを、子どもにしっかりと教え込まなければいならない」と、真剣に考えたりもすることでしょう。
しかし、これまでお話ししてきましたように、子どもが「イヤイヤ期」を迎えた段階から、子どもは「親からの“自立の欲求”」を行動で示し始めます。
親はこのような行動を子どもが取り始めた段階から、「自分の行動に責任を持たなければならない」と言うことを教え始める必要があるのです。
何も子どもが「思春期」になるまで、待っていなくてよいのです。
「自分の行動に対して責任を持つ」ということを、子どもの年齢に応じて、少しずつでも親は子どもに教えていかなければならないのです。
むしろ「思春期」を迎えた子どもは、「自分の好きに行動したいが、その行動によって引き起こされた問題の責任は、負いたくない」という気持ちの方が一層強くなるものです。

こうなると親と子どもとの間に、やはり「親子の間のコミュニケーション」の「ずれ」の問題も、さらに深刻になってしまうのは、当然のことかもしれません。
前置きが長くなりましたが、子どもと親との間に起きる「コミュニケーション上の“ずれ”の問題」を、やはり今回も「2つの“言葉がけ”」に注目しながら考えてみることに致しましょう。
「雨が降るといけないので、今日は傘を持って行きなさい」の例を使って考えてみましょう。
最初に「2つの言葉がけ」の違いについて、確認しておきましょう。
- 「“指示・命令”の言葉がけ」……親が子どもに発した「言葉がけ」どおりに、子どもに実行させる「責任」は親にあり、そのことで生じた「結果」に対する「責任」も親が負うものである。
というものでした。
これに対して:
- 「“助言・忠告”の言葉がけ」……親が発した「言葉がけ」どおりに子どもが実行するかしないかを決める「行動の“決定権”」は、子ども自身にある。そのため、子どもがそのとおりに実行してもしなくても、そのことで生じた「結果」に対する「責任」は、「言葉がけ」を発した親にはあるのではなく、その子どもにある。
というものです。
今回も次の「言葉がけ」を使って考えてみます。
親が子ともに対して:

雨が降るといけないので、今日は傘を持って行きなさい。
と発します。
今回は親が子どもへのこの「言葉がけ」を、「“助言・忠告”の言葉がけ」であるとしっかりと自覚して発したとします。
今回は子ども側の問題を扱いますので、これを聞き取ったあとの子どもの行動に注目してみましょう。
親の言ったとおりに子どもが、「傘を持って出かけたのに、その日は雨が降らず、傘を持って行ったことが無駄になってしまった」というケースで、今回は考えてみます。
このとき子どもが、これをどのようにとらえるでしょうか?:

親が自分に言ってくれたのは、“助言・忠告”だったし、傘を持って行くと決めたのは自分だったのだから、今回傘を持って行ったことが無駄になってしまったけど、それは自分の責任なので仕方がないな。
もしも子どもがこのように考えられたとすれば、親子間では喧嘩もトラブルも起きることはありません。
むしろ、親としてはわが子が「自分の行動に責任が持てるように育っていた」ことが分かったのですから、安心するでしょうし、そのように育ったわが子を親が十分に讃えてあげても、決しておかしなことではないでしょう。

ところが、子どもが親の「言葉がけ」を、あいまいなまま受け取ってしまうと、トラブルが発生します。
子どもが親からの「言葉がけ」は:

雨が降るといけないので、今日は傘を持って行きなさい。
でした。
この「言葉がけ」を受け取った子どもが、これを親からの「“指示・命令”」なのか、それとも「“助言・忠告”」なのかを明確に区別しないまま、「傘を持って出かけたが、その日に雨が降らなかった」としたらどうなるでしょうか。
もしかしたら、その後は、次のような展開になるかもしれません。
子どもは帰宅するなり親に対して:

・雨なんて降らなかったじゃないか!
・何で傘を持って出かけさせたんだ!
・傘なんか持って行って、損した!
・みんなからからかわれて、恥ずかしかった!
などと言って、親を責め立てたりするのではないでしょうか。

このケースで喧嘩やトラブルになった原因は、親が「“助言・忠告”」として「今日は傘を持って行きなさい」と言っているのを、子ども側が勝手に親からの「“指示・命令”」として受け取ってしまったことにあることは、お分かり頂けると思います。
「今日は傘を持って行きなさい」と言いう親の発言を「“助言・忠告”」であると子どもが認識できていれば、傘を持っているかどうかを決める「決定権」は子ども側にあることを、子ども了解していたはずです。

子どもの成長段階に応じて、「自分が決定した行動に対して責任を持つ」と言うことを、子どもが学んでいたとすれば、この子どもはどのように振舞うでしょうか。
きっとそのような子どもは、「自分が決めたこととだった」と言うことを思い出して、「帰宅したときに、親に対して文句は言えないのだ」と納得して、自分の中に沸き起こる不快の気持ちをぐっと飲み込むことでしょう。
すると、この場面で果たすべき親の役割は、どんなことになるでしょうか。
それは、このように振舞えたわが子に対して、その頑張りを十分に讃えてあげることではないかと思うのです。
「言葉がけ」によるトラブルを“回避”するためには…。
確かに、小さいときから“ききわけ”がよくて、親の言ったとおりにずっと行動してきた子どももいます。
このような子どもさんを持った親御さんは、「わが子はとても育てやすかった」と感じていることでしょう。

しかし、親が気をつけて子どもを見ていないと、「親が発する“言葉がけ”は、すべて“指示・命令”である」と誤って理解したまま、成長してしまっている子どももいたりするのです。
このような子どもの中には:

子どもである自分の行動を決めてくれるのは、自分の親である。
と、ずっと信じたまま成長してきた子どももいたりします。
他にも、子どもの中には:

親の言ったとおりに自分は行動しただけなので、自分には何の責任もないし、責任は親が取ってくれるものだ。
と、考えてしまったまま成長してきた子どももいることでしょう。
このような子どもの中には、今回取り上げた「言葉がけ」の「傘を持って出かけなさい」と言う発言を巡って、次のような展開になってしまう場合もあるのです。
親の側では:

“助言・忠告”のつもりで、自分は子どもに言っているのだから、傘を持って行くかどうかを子どもが決めて構わない。
と思っていたとしても、
子どもの側が:

・親からの“言葉がけ”なのだから、自分には自分の行動を決める決定権がないのだ。
・親からの“言葉がけ”というものは、“指示・命令”以外ないのだから、親の言ったとおりに、傘を持って行くしかないのだ。
と、思ってしまったりもするのです。

それでは、このような親子間の「“言葉がけ”の“取り違え”」を防ぐためには、どのようにすればよいのでしょうか。
例えば、親の側の方策としては:

これは“指示・命令”です。なので、親の言ったとおりに行動しなさい。

・これは、“助言・忠告”だからね。親の言ったとおりに行動してもいいし、行動しなくてもいいんだよ。
・自分の行動はお前が決めてよいけど、その結果起きたことの責任は、決めたお前が取るんだよ。
あどが、あるでしょう。
いずれにせよ、親が「言葉がけ」を発するたびに、子どもの発達の段階に応じて、子どもにわかるように「2つの“言葉がけ”」のうち、どちらの「言葉がけ」をしたのかを明確に伝えておくことが、親の側に求められます。

その一方で、子どもの中には、親の「言葉がけ」が、今回はどちらだったのかの区別できないこともあるでしょう。
そのような場合の子ども側の方策としては:

その発言は、“指示・命令”なの?
それとも、“助言・忠告”なの?
と、親にしっかりと確認を求めることも、子どもにとっては必要なことなのです。
ここでも、親の側に大切な役割があります。
親はここで子どもに:

・あいまいにせずに、ちゃんと聞いてくれてありがとう。
・少し分かりづらかったのね。
・今の言葉がけは、「“指示・命令”」(あるいは、「“助言・忠告”」)として、お前に言ったのだよ。
このような子どもからの問いかけに対して、親は面倒くさがらずに、どちらだったのかの区別がつくように答えてあげる必要があります。
このような親子間でのちょっとした「ずれ」をそのままにしないで、「ずれ」に気づいたらすぐに、その「ずれ」を解消するためのコミュニケーションが持てるようになることが、親側にも子ども側にも求められることなのです。
まとめ。
コミュニケーションにまつわるトラブルは、言葉を「発する側」と「受け取る側」との“考え”や“思い”の違いによって起きることがあります。
「親子であるのだから、何も言葉に出して言わなくても、きっとわかるはずだ」と、親子の双方が思ってしまうことが、今回ようなコミュニケーション上の「ずれ」が起きてしまうことの大きな原因となります。
親子間のコミュニケーションのずれが原因で、親子関係がさらに一層こじれてしまわないためにも、「明確でないこと」があれば、すぐにそれを「明確にする」ための「言葉」を発することをいとわないようにしたいものです。
ご参考になればと思います。
