私たちの性格は、生まれながらのものなのでしょうか。それとも、生まれた後の経験によるものなのでしょうか。

自分が「心配性」であることを自認されている親御さんにしてみれば、「自分の子どもも、“心配性”になってしまったら、どうしよう」と悩んでしまうかもしれません。
しかしそのことで、さらに不安感が高まってしまったとしても、それは決しておかしなことではないのです。
自分が心配性で苦労しているのであればこそ、「わが子だけは自分のようにならないでほしい」と思うのは、親として当然のことではないでしょうか。
しかし、このような親御さんの“思い”からくる“言動”が、お子さんを苦しめてしまうこともあります。

今回は、この「心配性」を例に挙げて、「親の子どもへの“言葉がけ”が、その子どもにどのように影響するか?」を考えてみたいと思います。
また、子どもを“心配性”にしないための、親の子どもへの“言葉がけ”とは、どのようなものであればよいのかについても提案することに致します。
はじめに。
子どもたちにとって、毎日の学校生活は、新しい体験の連続です。
日々変わる生活の中に身を置くと、子どもたちの中にはふと、「自分は、このまま学校で、うまくやっていけるのだろうか?」と、不安になってしまう子どももいることでしょう。

そんな子どもがわが子であったとすれば、それを見ている親の方も不安感が募ってくるものです。すると親の側も、子どもの様々なことが心配になり始めます。
例えば、自分の子どもは…:
- 学校で先生の言う通りに、ちゃんとやれているのだろうか?
- 教えてもらった勉強は、分かっているのだろうか?
- いじめられたりしていないだろか?
- 友達と仲良くやれてるだろうか? などと。
このように、わが子のことが何かと心配になってしまうのも、親として無理からぬことでしょう。
不安や緊張を示す子どもを前にして…。
いつもと様子の違うわが子を見れば、子どもに「何があったのか?」と尋ねたくなるのは、親として当然のことだと言えます。

しかも、子どもの様子が深刻そうであればあるほど、子どもに何か悪いことが起きていないかを確認するために、それを訊き出すための「質問」を子どもに投げかけたくなるものです。
例えば、わが子に対して…:
- 「いじめられたの?」
- 「何か嫌なことがあったの?」
- 「一人ぼっちになってしまったの?」
- 「授業について行けないの?」
- 「身体の具合が悪いの?」などと。
確かにわが子のことを思う親の気持ちから、「今日、わが子に何か悪いことが起きていないか?」ということを子どもから訊き出して、親としてすぐにも対応できることをしてあげたいと思うのは、もっともなことです。
このような親の対応がうまく行って、子どもが「問題」を打ち明けてくれて、その「問題」が早期に無事に解決されることが“ベスト・シナリオ(最善の台本・筋書き)”に違いありません。

しかし、子どもの「問題」がうまく解決できた後の、親の子どもへの関わり方に、親自身が注意を向けることも、とても大切なことなのです。
なぜなら、子どもが打ち明けてくれた「問題」が大きければ大きいほど、その問題が無事に解決できたのにもかかわらず、親の心配性がさらに強まってしまうことがあるからです。
親御さんにすれば、同じような問題が今後再びわが子に起きないようにするために、「早期に問題の芽を摘んでおこう」と考えるのは、むしろ当然のことかもしれません。

そうなると、「問題」がまだ何も起きていないのにもかかわらず、万が一のことを考えて、その後もわが子に対して、毎日毎日「質問」を投げかけてしまうかもしれません。
例えば、わが子に対して…:
- 「今日は、いじめられなかったかい?」
- 「何か嫌なことが、今日はなかったのかい?」
- 「一人ぼっちでいることは、今日はなかったかい?」
- 「今日の授業で、分からないところは、なかったかい?」
- 「今日は、身体の調子が悪くなることは、なかったかい?」などと。
もしも、このような「質問」が、親から毎日毎日投げかけられたとしたら、子どもの心の中にどのようなことが起こるでしょうか。
また、親子関係は、どのようなものになってしまうのでしょうか。
子どもの側で起きることとは…。
子どもは、その日の学校での生活が無事に終わり、帰路に就く途中で、「親からのいつもの“あの質問”が、今日もまた投げかけられるだろう」と思うことでしょう。
すると、子どもは自然と頭の中で、次のような「考え」を巡らし始めるかもしれません。
例えば…:
- 「今日は、何か嫌なことが自分の身に起きただろうか?」
- 「隣の席の子が自分にしたことは、もしかしたら意地悪だったのだろうか?」
- 「今日の授業は、すべてちゃんと分かっただろうか?」
- 「今日ちょっと身体がおかしかった時があったけど、あれは大丈夫なのだろうか?」などと。

このように考える子どもさんと、子どもの帰宅を待ちわびる親御さんとの間に起きることは、もしかしたら次のような「一連の流れ」かもしれません。
- その日子どもは、学校で「うれしいこと」や「楽しいこと」を実際には体験した。
- それにもかかわらず、子どもは「今日も親からいつもの、“何か悪いことはなかったかい?”と訊かれるだろうな」と考えてしまう。
- 親からの「質問」に答えなければならないために、子どもはその日の学校生活を振り返る。
- その日の学校生活の中で、自分にとってほんの少しでも「悪いこと」や「気になること」を、見つけ出そうと努める。
- その結果、それまで全く忘れていたのにもかかわらず、その日に自分の身に起きたちょっとした体調不良や、気分の悪化、心配なこと、友だちとのトラブルなどを、このときに思い出す。
- 帰宅すると、いつものように親から「嫌なことはなかったかい?」と訊かれる。
- 子どもは帰宅途中に思い出した「その日の嫌な出来事」を親に話す。
- 子どもの頭の中からは、その日に実際にあった「楽しいこと」や「うれしいこと」は消え去り、親からの「質問」に答えた「嫌なこと」や「気になること」だけが、その日の記憶として残る。
- 親は、子どもから「その日の嫌な出来事」を聞いただけで、実際に子どもがその日に体験した「楽しいこと」や「うれしいこと」を知らないままとなる。
- 親はわが子のことが、さらに心配になる。
このような「流れ」が、この親子の間では、その後もずっと繰り返されるかもしれません。
出来事を“思い出す”ことを巡って…。
我々は生きていく中で、毎日いろいろなことを“体験”します。
この体験には、自分の身に起きた「うれしこと」や「悲しこと」など、「プラスの出来事」と「マイナスの出来事」の両方があるはずです。
日々の生活の中で「体験したこと」を、その都度「思い出せること」は、本来は“自然なこと”かもしれません。
日々の体験の“積み重ね”が「人生」であるとしたら、人生には「プラスの出来事」と「マイナスの出来事」の“両方”の体験があったはずです。
だとすれば、これまでの人生を振り返ったときに、その“両方のこと”を思い出せることが、“自然なこと”だと言えましょう。

ところが、ここで取り上げたお子さんのように、親御さんから「何か悪いことが起きなかったかい?」と、毎日毎日繰り返し「マイナスの出来事」のことばかり尋ねられていたとしたら、どうなるでしょうか?
子どもはきっと、自分が体験した中の「悪いこと」や「嫌なこと」ばかりに、注意や関心が向く「習慣」がついてしまうのではないでしょうか。
その結果、自分の身に実際に起きた「楽しいこと」や「うれしいこと」に対して、さほど気に留めなくなってしまうことでしょう。
そしてさらにまずいことには、ますます「悪いこと」や「嫌なこと」ばかりを、覚えておくような「習慣」もついてしまうのではないでしょうか。
ここで起きていることは、親との“関わり”の中から、子どもが身に付けてしまった、まさに「習慣」と言えるものです。

とりわけこの「習慣」は、「考え方の“習慣”」ですから、「思考の“癖”」と呼んでもよいかもしれません。
この「思考の“癖”」によって、「マイナスの出来事」を繰り返し思い出して、そのことばかりを考えてしまうのが、「マイナス思考」とか「ネガティブ思考」と言われるものでしょう。
また、それが生み出す心の状態が、「心配性」と言われるものではないでしょうか。
子どもを「悲観的な思考の持ち主」にしないためには、親から子どもにどんな「質問」を投げかけるのかと言う「言葉がけ」が重要であると言われるのは、まさにこの点にあります。
親が子どもにかける「言葉がけ」は、子どもの「思考の“癖”」に大きな影響を与えてしまうと言えましょう。
子どもを心配性にしないための「言葉がけ」とは…。
ここでの「言葉がけ」のポイントは、次のようになります。
子どもが学校から帰ってきたとき、子どもがその日に自分の身に起きた「楽しいこと」や「うれしいこと」に、「注意」が向くような「言葉がけ」を、親が意識的にわが子に向けて投げかけてあげることです。
例えば…:
- 「今日、何か面白いことがあった?」
- 「今日の愉快なことは何?」
- 「教えてもらったことで、今日面白かったことはどんなこと?」
- 「今日、楽しかったことは何?」などと。

親がこのような「言葉がけ」を子どもに毎日投げかけていたとしたら、先ほど例に挙げたこととはまったく“反対”のことが、その子どもの「“思考”の流れ」として起きるのではないでしょうか。
きっと子どもは、その日にあった自分のことや友だちのこと、授業のことや先生のことなどで、「面白かったこと」「楽しかったこと」を思い出して、それを親御さんに話してくれることでしょう。
それを聞いた親は、「へー。そんなことがあったんだ。それは、面白かったね」などと、言葉にして子どもに返してあげればよいのです。
思春期の子どもの場合は…。
思春期真っただ中にいる子どもは、ここに挙げた親からの「質問」に対して、口が重いかもしれません。
きっと、思春期の子どもさんは親御さんに対して、「別に…」などと答えるのではないでしょうか。

しかし、それでいいのです。思春期の子どもは、このような「心理的距離」を、親との間でとるものです。
「別に…」と返して来ても、親御さんはそのことにとらわれず、「ああ、そうかい」とでも言葉で子どもに返してあげれば十分です。
親からの毎日の「プラスの出来事を思い出す“言葉がけ”」によって、その日に子どもが体験した中の「プラスの側面」に、子ども自身が自然に「注意」を向ける“習慣”がつくことが重要なのです。
子どもが親の質問にちゃんと答えるかどうかと言うことよりも、親が子どもに対して「プラスの出来事を思い出す“言葉がけ”」を“めげず”に、かけ続けることの方が、子どもを「心配性」にしない「思考の“癖”」をつけるためには、とても大切であると言うことです。

まとめましょう。思春期の子どもが、親からの「プラスの出来事を思い出せる“言葉がけ”」によって、一日の中の「プラスの出来事」を“自分なり”に思い出せさえすれば、親に対してそれをちゃんと言葉に出して言わなくても、たとえそれを内緒にしていても、それで構わないのです。
それが「“思春期”にある子ども」の行動特徴だと捉えておきましょう。
注意することは…。
このような「プラスの出来事を思い出す“言葉がけ”」を、親が子どもに対して毎日行っている中で、ある日、いつもと“違う”反応を子どもが示したときは、要注意です。
子どもに何らかの「問題」が実際に起きている可能性が、とても高いからです。
このような時こそ、親がわが子に対して、「今日、学校で何かあったの?」と、静かに問いかけてみなければなりません。

子どもが「悩み事」や「心配事」を打ち明けてくれたときは、親はその内容に不安を感じながらも、子どもに対しては「よく打ち明けてくれたね」と言わなければなりません。
子どもが親に悩みを打ち明けてくれたことに対して、親自身がどんなに動揺したとしても、親の発する子どもへの「第一声」は「よく打ち明けてくれた」と言う、子どもに対する親からの「ねぎらい言葉」なのです。
子どもが自分の悩み事や心配事を親に打ち明けることは、とても勇気のいることです。
ですから、親としては、打ち明けることができた子どもを、まずはしっかりと讃えてあげましょう。

そして、子どもの打ち明けてくれた悩み事や心配事に、親がしっかりと向き合って、一緒に考えてあげることが大切です。
また、親御さんがどうしていいかわからないときは、親御さんが一人で抱え込むのではなく、それを一緒に考えてくれる「誰か」に相談することが必要です。
おわりに。
悩み事を打ち明けた子どもにとっては、それを讃えてくれた親御さんのことを自分の「味方」だと感じることでしょう。
同じように、悩みを打ち明けられて不安になってしまった親御さんにとっても、「味方」になってくれる「誰か」が必要となります。

子どもから相談を受けたときに、「こんな問題が起きてしまって恥ずかしい」と思って、親御さんが一人で「問題」を抱え込んでしまって、社会から孤立してしまうことは、決してよいことではありません。
親御さん自身に「一人ぼっち」の孤独感が強まると、どうしても親御さんの「心配性」や「不安感」は強まってしまうものです。
親御さん自身の「心配性」を強めないためにも、親御さんの「味方」になってくれる人、例えば、家族や友人や先輩などがいてくれることが、とても重要なのです。

また、親御さんにとっての「味方」の一人として、「臨床心理カウンセラー」の存在も覚えておいていただけると、有難いです。
「臨床心理カウンセラー」は、相談者の「味方」になることを、どんな時でも心掛けているからです。

