相談室でクライエント(来談者)さんに、カウンセラーが「たとえ話」を使うことがあります。今回の「自転車の補助輪」のたとえ話も、親子関係で悩みを抱える親御さんに、現状を見直す作業の導入として、これまでわりとよく使ってきた「たとえ話」です。

はじめに
お子さんが自転車を乗り出すときの親子の関りのエピソードを、親御さんに語ってもらうことがあります。
親御さんにお子さんが小さいときに、どのように自分が子どもに関わったのかを、親御さん自身に振り返ってもらいたいためです。それにカウンセラー自身も、その親御さんがお子さんにどのように関わられてこられたのかを、知りたいためでもあります。
今回は、不登校のお子さんを抱える親御さんとのカウンセリングのお話です。
なお、このお話は、特定の事例ではありません。これまでの複数の事例を合わせて作った、全くの架空の事例であることをお断りしておきます。
不登校のお子さんを抱える親御さんとの面接
子どもが突然、学校に行かなくなってしまったとき、動揺しない親御さんなど、一人もいないでしょう。
「うちの子は、これでもうダメになってしまうのでしょうか?」と、涙ながらにカウンセラーに訴えられた親御さんに、これまでにも少なからずお会いして参りました。
何を考えているのか全く語ってくれず、自室に引きこもってしまっているわが子の姿を、毎日眺めている親御さんにとっては、とてもつらい日々を過ごされていることでしょう。
そんな親御さんに対して、「お子さんの今の気持ちを受け止めてあげて下さい」などとカウンセラーからアドバイスされても、そんな悠長なことなどとてもできないことでしょう。
心配のあまり子どもに対して、親御さんがつい感情的な言葉を発してしまうのも、無理からぬことかもしれません。
自転車を最初に乗り出したときのこと
そんな不登校のお子さんを抱える親御さんに対して、「お子さんが小さいときに、どんなふうに自転車に乗り出されるようになったのですか?」と、小さい頃の様子を伺うことがあります。

子ども用の自転車には、転倒を防ぐために、後輪の左右に支えとなる補助輪(補助車)がついています。
この補助輪が外れ、自転車に乗れるようになるまでの、子どもさんと親御さんとの、関わりのエピソードを親御さんから伺うために、このような質問をカウンセラーはしているのです。
親御さんは、どなたも割とよくそのことを覚えていらっしゃって、いろいろとお話をして下さいます。
カウンセラーからの質問
そこでカウンセラーは親御さんに、さらに次のように尋ねます。
「ところで、お子さんが『もう自転車に乗れるから、補助輪を外してよ!』と言ってきたとき、あなたはどうされましたか?」と。
さらに、「補助輪を外した後、お子さんが自転車から転げ落ちて、泣いて帰ってきたことはありませんでしたか?」「そのとき、あなたはどうされましたか?」と。
親御さんが実際にとられた対応
子どもが自転車に乗っていて、転んでケガをするのではないかと言うことは、親御さんにとっては一番の心配事だったことでしょう。
だとすれば、補助輪のついた自転車に、子どもがこれからもずっと乗っていてくれた方が、親御さんにとっても絶対に安心なはずです。
ところが、子どもから「補助輪外してよ!」と言われたときに、「まだ早いよ!」と言って補助輪をつけたままにされた親御さん。転んで泣いて帰ってきた子どもに、「だから言ったでしょう。補助輪を外して乗るのは、お前にはまだ無理なんだよ」と言って、自転車から一度外した補助輪を再びつけてしまわれた親御さん。
私はこのようなエピソードを話された親御さんに、これまでお会いしたことがありませんでした。
わが子への「確信」のあらわれ
親が子どもに言われるがまま補助輪を外すのは、「私の子どもなんだから、絶対に自転車は乗れるはずだ」と言う、わが子へのものすごい「確信」が親御さんにあるからでしょう。
だからこそ、子どもがたとえ転んでケガをして泣いて帰って来ても、「痛かったでしょう。でも、大丈夫、大丈夫!」と言って、泣きじゃくる子どもを“なだめた”のでしょう。

またその後、落ち着きを取り戻した子どもに対して親御さんは、「お前なら、絶対に乗れるから!」と言って、子どもの背中をポンとたたき、補助輪なしの自転車に再び乗るように、子どもに“働きかけ”をしたのではないでしょうか。
不登校の子どもさんと親御さんとの関り
不登校の生徒さんとカウンセリングをしていると、生徒が自分から何かしようと思って、それをやり出そうとしたとき、親から「それは、まだだめ!」と言われ、待ったをかけられたという話を聴くことがあります。

親御さんにしてみれば、わが子のことが心配で、「子どもにとって良かれ」と思って、わが子に「待った!」を掛けたのでしょう。
ところが、子どもが自分の意志で何かをしようと決めて、親にそれを申し出たときに、親から「承認」されることなく、いつも否定されてばかりいたら、子どもはその後どうなってしまうのでしょうか。
自分から何かをしようと言う気持ちそのものが、その後子どもに全く起きなくなってしまうようなことにでもなったら、大変なことでしょう。
わが子への“関わり方”を振り返ってみる
「補助輪を外すこと」にまつわる親と子どもとの心の交流は、子どもが親から自立するときの、親の子どもへの関りの過程を象徴しているように、私には思えます。
不登校状態にある子どもが、自分から何かをしようと言うサインを出したとき、それに対して親がどのように関わればよいかと言うことのヒントは、わが子が昔「補助輪外してよ!」と言ってきたとき、自分は親として子どもにどのように対応したかを、“思い出して”みることの中に隠されてるのではないでしょうか。
「わが子への“関わり方”」を見直すためには、わが子からの「補助輪を外してよ!」という“申し出”があった時代までさかのぼり、そのとき自分はどうしたかを、思い出してみることから始めてみましょう。
そして、それ以降、子どもが成長するにつれて、子どもから出てくるそのときどきの“申し出”に対して、自分は親としてどう対処してきたのかと言うことを、現在までたどってみるとよいかもしれません。
子どもからの“申し出”に対して、親としての「確信」と「承認」がどうであったかを、じっくりと振り返ってみる作業が大切です。
このような作業を行う中に、こじれてしまった親子関係を、解決するための“糸口”があるのではないかと、私は考えています。
またこの作業は、問題行動を起こしてしまう子供を抱える親御さんにも、参考になる方法ではないかと思うのです。