【Q&A】:「他人と自分とを比べてしまうのですが、どうしたらいいでしょうか?」

レターパット 自己成長
相談者
相談者

すぐに他人と自分とを比べてしまい、落ち込んでばかりいます。比べることを止めればいいと分かっているのですが、なかなかそれができません。解決方法を教えて下さい。

加藤 
加藤 

「人と比べるのをもう止めようと思っていても、なかなか止められずに悩んでしまう」と言う相談を、当相談室でも、これまでしばしば受けてきました。

今回は、この悩みの中心にある「比べてしまう」という“行為”を取り上げ、クライエントさんの抱える苦しみの解決を目指して、一緒に考えてみたいと思います。

なお、ここに掲載する「事例」は、すべて架空のものであることを、お断りしておきます。

“自己否定”からの脱出方法は、“比べること”を止めること!?

日々の生活に追われているときは、目の前にやらなければならないことがいろいろあるので、それに気を取られてしまって、自分自身のことを考える暇などないかもしれません。

ところが、やることがなかったり、ちょっと時間が空いてしまったりすると、頭の中で勝手に自分自身を思い浮かべて、いろいろと考え込んでしまったりするものです。

こうなるとどうしても、「自分と他人とを比べる“思考”」が、頭の中でぐるぐると回転し始めてしまうのではないでしょうか。

もともと「自分自身のことが好きになれない」と言って悩んでる人は、ちょっとしたことで、この「他人と比べてしまう“思考”」の“スイッチ”が入りやすいのかもしれません。

「自分と他人とを比べる思考」が頭の中でぐるぐる回転してしまうことに悩んている人の中には、「この“まずい思考のループに陥らないためには、どうすればいいか?」と考えて、「人と比べてしまうことを、とにかく止めることだ」ということに思い至るのは、決しておかしなことではありません。

実際、本屋さんに行ってみれば、「他人と比べることを止める」ことを推奨している自己啓発本が、たくさん売られているのに気づかれることでしょう。

また、この悩みを解決するためにAI検索すれば、「他人と比べるのを止めることが一番大切です」とアドバイスしてくれる記事を、目にしたりもするものです。

果たして「比べること」を“止める”ことが、できるのでしょうか?

「人と比べてしまうから、あなたは苦しんでしまうのでしょう。それならまずは、その比べてしまうということを、とにかく止めなさい」とアドバイスされたときに、「新たな悩み」を抱えてしまう人もいらっしゃいます。

このことを「架空事例」を使って、ご説明しましょう。

例えば:

相談者
相談者

友だちから「あなたはすぐに“勝ち気”になるから、そこがよくないんだよ」と指摘されたのです。それで、自分の「勝ち気」なところを止めるために、「他人と比べることを、まずは止めよう」と誓ったんです。でも、それができなくて、困っています。

とかく他人と競争してしまうこの相談者は、「勝負には勝たなければならない!」という強い信念をお持ちなのかもしれません。

そんな相談者のことを「勝ち気だ!」と言って、友だちは非難してきたのでしょう。

「自分には勝ち気なところがある」と実際ご自分でも感じられていた相談者は、「自分がすぐに他人と自分とを比べてしまうところがいけないんだ」と気づき、それを変えようと自ら頑張られたのだと思います。

ところが、「比べてしまうという“行為”を、なかなか止められない」ために、今度はそのことがこの相談者の「新たな悩み」となり、「比べてしまうことを止められない“自分自身”」に対して、さらに自己否定的になられているのかもしれません。

このような相談者に対して、私は次のような「情報提供」をすることが、これまでにもたびたびありました。

加藤 <br>
加藤 

私たち人間は、生きている限り、「比べる」と言う“行為”を、止めることはできないのではないでしょうか。「比べる」という“行為”は、人がよりよく生きていく上で、むしろ必要なことなのかもしれません。

このようなことをお話すると、それを聞いた相談者の方は、皆さんびっくりされます。

しかし、よく考えてみて下さい。

たとえば、あなたがスーパーに行って「野菜を買おう」とするときに、山積みされた野菜の中で一番よい野菜を、きっとあなたは選ぶのではないでしょうか。

一番よい野菜を選ぶときに、あなたはどうされますか?

きっと一つ一つ野菜を比べて、その中から一番よい野菜を最終的に選び出して、それを買われることと思います。

「野菜を買うとき」を例にしましたが、日々の生活を振り返れば、私たちはいろいろな場面で自然に「比べる」という“行為”を行っています。

しかもこの「比べてみて、その中でよりよいものを選び出す」と言う“行為は、私たちの生活をより豊かにするためのとても有効な方法ではないでしょうか。

たとすれば、私たちは生きている限り、「比べる」という行為自体を手放すことは、もともととても難しいことだと思うのです。

このような説明をしたあとに、「比べたくなってしまう“気持ち”」が起きたときの“対処方法として、私は次のような提案をすることがあります。

「比べたい」と言う気持ちや考えが起きたときに、そのような“気持ち”や“考え”が起きること自体は、人間として「自然なことである」と言うことを、まずは認めてみてはどうでしょうか。

言い換えれば、「“比べたくなる”と言う気持ちや考えが起きてしまうこと自体は、決しておかしなことはない」と言うことです。

さらに、「人間とは、もともとそのような“存在”なのだ」と日ごろから思えるように、むしろ“努力”してみてはどうかと、私は提案したいのです。

“比べてしまいがちな人”とは、いったい“どのような人”なのでしょうか?

「比べたくなる」と言う気持ちや考えが、人間が生きていく上で、いつもついて回るものだとすれば、「比べる」と言う“行為”そのものを、どのように考えればよいのでしょうか。

このことを考えるためには、ちょっとした「思考実験」をやってみるのが効果的かもしれません。

それは、「比べたくなる」という気持ちや考えが“起きない”場面を考えてみるという「思考実験」です。

この「思考実験」でも、「野菜を買う場面」を使ってみましょう。

先程は、「なるべくよい野菜を買いたい」と思って、他と比べてよりよいものを選ぶ“行為”をしていたのでした。

この「思考実験」では、「“もっといいものが欲しい”という気持ちや考えが“起きなかったとすれば、そのときにどんな“行為”をするか?」を検討することになります。

きっとこのようになる場面では、野菜が山積みになっているのを見たときに、「別に野菜なら、どれでもいいや」と思って、その野菜の山の中から適当に一つ野菜を取り出して、それを買われるという行為が取られるのではないでしょうか。

もしもこのような“行為”を取ったとしたら、それは「投げやりの行為」と呼ばれてしまうものでしょう。

ところで、ここまでの「思考実験」を踏まえて考えると、他人と自分とを「比べる」気持ちや考えが“起きない場面では、いったいどのようなことが起きるでしょうか。

このような場面では、もしかしたら「今のままの自分でいいじゃん」「別に今以上の自分になる必要なんてあるものか」「もうこれ以上の自分になることなんかない」などと考えているかもしれません。

「もっとよいものが欲しい」「もっとすごい自分になりたい」と言う気持ちや考えが起きるときは、「今以上のものが欲しい」「今以上の人物になりたい」と言う気持ちや考えが強くなっているときではないでしょうか。

この「今以上の自分になりたい」と言う気持ちや考えが“起きるのは、「自分自身がさらに上を目指ざそうとしているとき」ですから、それを一言で言えば「“向上心”が強くなっているとき」として捉えることができるでしょう。

言い換えれば、「向上心」をしっかりと持っている人ほど、「比べたくなる気持ちや考え」が強い人ではないか思うのです。

そこで私は、次のような提案をすることがあります。

「競争心が強い」「勝ち気である」と他人から非難されたからと言って、自分自身をそんなに否定的に捉える必要はないのではないかと思うのです。

「他人と自分と比べてしまう」からと言って“自分”を卑下するのではなく、むしろ「自分は“向上心”が強い人間なのだ」と肯定的に捉えてみてはどうでしょうか。

「“向上心”が強い」と言うことは、あなたにとっての「とても貴重は“持ち味”」たと思います。

だとすれば、何らかの理由であなたの持ち味である「向上心の強さ」を活かすことを、今後の人生を歩むにあたって、あなたが控えようと仮に決めたとしても、これまでの人生をあなたが「向上心の強さ」でもって生き抜いてきたこと自体を、あなたが否定する必要はないと私は思うのです。

それでも、やはり「比べる」と言う“行為”には、“落とし穴”があります。

「比べてしまう」こと自体は、決していけないことではないと言うことが、ご理解いただけたでしょうか。

ただし、「比べる」と言う“行為”には、気をつけなければならない「落とし穴」があると言うことを、最後に指摘しておきたいと思います。

次のスライドを見て下さい。

目標と今

これは、向上心の強いあなた「“今”の自分」に気づき、「あの“目標”に達したい」と思って、「目標選定」をした場面を表しています。

自分をさらに向上させるために、「“今”の自分」「“目標”となる自分」とをこのように捉えることは、とても有効な戦略と言えます。

ところが、この「目標」が決まったあとに、「あなたが何に対して意識を向けて行くか?」と言うことが、これからお話しする“ポイント”になります。

結論を先に申し上げれば、次のようになります。

加藤  
加藤  

いったん“目標”が決まったら、いつまでもその“目標”に囚われていはいけない。

ということです。

次のスライドを使て、ご説明しましょう。

「なぜこの図に示したことが重要なのか?」おわかりでしょうか。

それは、「自分」が将来「今の“自分”」よりも確実に向上したとしても、「目標」のところまで達しなければ、「将来の“自分”」は「目標としての“自分”」よりも、いつも低い位置に居ることになります。

そうなると、実際には「今の“自分”」よりもその後に間違いなく向上しているのにもかかわらず、いつまでも「まだ自分はダメだ」と言う思いに囚われてしまって、「向上した」と言う“達成感を味わえないのです。

ここは大切なところなので、次のスライドを使って、さらに詳しく説明いたしましょう。

「今の“自分”」のところに居たあなたは、一生懸命に努力したので、その後に「将来の“自分”」のところまで着実に成長したとしましょう。

ところが、ここで比べる対象である「目標の“自分”」の側から見てしまうと、着実に成長したはずの「将来の“自分”」はどのように感じるでしょうか。

「将来の“自分”」「今の“自分”」よりも、その後に着実に向上しているのにもかかわらず、「目標の“自分”」に達しない限り、「まだダメだ」「自分は何をやってるんだ」という気持ちや考えに圧倒され続けてしまい、自己否定感をさらに強めてしまうことでしょう。

このようなことになれば、とても悲劇的なことに違いありません。

それでは、このような事態に陥らないために、どうすればよいのでしょうか。

それは:

加藤  
加藤  

ひとたび自分が目指すべき“目標”が決まったら、その「目標の“自分”」「今の“自分”」や「将来の“自分”」とを、決して比べてはいけない

むしろ、「今の“自分”」が比べるべき対象を、「目標の“自分”」ではなく「過去の“自分”」にすること。

そして、この「過去の“自分”」「現在の“自分”」とを、「自分」が目標に達するまで、比べ続けること。

となります。

で表せば、こんな感じになります。スライドを見て下さい。

と言うことです。

これならば、成長している限り、その都度着実に自分の「成長」を、実感できることでしょう。

ここまでをまとめると、次のスライドになります。

まとめましょう。

あなたが「比べてしまう」のは、あなたの向上心”の現れですから、「比べてしまう」と言う“行為自体を否定する必要はありません

しかし、比べてしまうときの「対象」を何にするかと言うことが、ここではとても重要なことになります。

この点をしっかりと吟味する必要があるのです。

あなたがいつまでも「目標の“自分”」と「今の“自分”」とを比べ続けていると、あなたがその目標に達しない限り、あなたに達成感や満足感は訪れません。

このような状態が続けば、あなたがいくら頑張ったとしても「目標」に達しない限り、あなたはずっと「目標よりも劣っている“自分」として自分自身を捉えてしまい、ますます自己否定的に自分を捉えてしまうことにもなりかねません。

「目標達成」を意識しすぎてしまった結果、いったん設定した「目標」をその後も「比べる対象」にし続けてしまうことが、悪影響を及ぼしてしまうのです。

これを私は、「比べることにまつわる“落とし穴”」と呼んでいます。

「比べてしまう」と言うことは、あなたが「人一倍、向上心が強い」ことを示していますから、それはあなたの大切な“持ち味”なのです。

だとすれば、「比べしまう」という気持ちや考えはそのままにして、「“今の自分」が比べるべき「対象」を、「目標となる“他人」にするのではなく「“過去の自分」することが、あなたが行わなければならないことになります。

これが「比べることにまつわる“落とし穴”」に陥らないための「戦略」です。

そして最後に、次のように提案したいと思います。

最後に、こんな「お話」をさせて下さい。

最後までこの「比べることの“行為”」にまつわる「ブログ」を読んで下さり、ありがとうございました。

「比べてしまう」と言う“行為”に対して、あなたがこれまで抱いていた否定的な気持ちや考え方が、少しでも変わったとしたら、とても嬉しく思います。

ところで、私どもの相談室に来られるクライエントさんに「情報提供」と言う形で、さらにつぎのような「お話」をすることもあります。

特に検証したわけではありませんが、私が勝手に理屈をつけて理解している「お話」として、お読み頂ければと思います。

それは、「日本水泳界」で起きた「ある変化」にまつわることです。

かつて日本水泳界は、なかなかオリンピックに出場できないほど男女選手とも低迷していました。

今でもそうですが、たとえ日本選手権で優勝したとしても、オリンピック代表選手として選ばれるためには、「オリンピック標準記録」を超えていなければならないというルールがあります。

そのため、日本選手権で優勝した選手に対するインタビューの場面で、インタビュアーから「オリンピック標準記録まであと〇〇秒ですね」選手が問われると、選手「はい、オリンピック標準記録を超えるために、さらに頑張ります」と言っていたものでした。

しかしその当時は、どうしてもこの「オリンピック標準記録」を超えることが難しく、たとえ超えられてオリンピックに出場できたとしても、その成績は惨憺たるものでした。

試合での緊張感を和らげるためか「泳ぎを楽しみたい」と言う発言が、当時の選手や取材陣の間で流行っていたようにも記憶しています。

ところがその後、ある時期から選手の「発言」に、変化が起きました。

それが何かと言えば、選手らが「自己ベストの追求」と言う言葉を使い出したと言うことです。

優勝した選手がインタビューを受けた際に、これまでと違って「これからも“自己ベスト”が出せるように頑張ります」などと、「自己ベストの追求」を口々に言うようになったのです。

実際、この「自己ベストの追求」が選手の合言葉になるにつれて、「水泳」が再び日本の「お家芸」となり、日本水泳界は「水泳ニッポン」として復活を遂げ、オリンピック水泳で男女とも「金メダル」を取れるまでになったと、私には感じられました。

もうお分かりのように、「オリンピック標準記録」を超えない限りオリンピック代表選手として選ばれませんから、選手にすればこの「オリンピック標準記録突破」が自分の目指す「目標」になります。

かつて選手らは、この「目標」から「今の自分」を比べてしまっていたのではないでしょうか。それが、「オリンピック標準記録突破まであと〇〇秒」と言う発言に現れていたのでしょう。

ところがこれだと、いくら頑張っても「目標突破」しない限り、選手には「達成感」が得られなかったのではないかと推察するのです。

実際、「自己ベストの追求」を意識するようになると、試合でその都度「自己ベスト」を出せれば「達成感」を味わえるわけですから、選手の気持ちや考えもずいぶん変わったのではないでしょうか。

今では試合後の着順表示にも、「自己ベスト記録」などと表示されるようになっています。

この「自己ベストの追求」の合言葉が、結果的に「オリンピック標準記録突破」を果たし、オリンピックに出場してメダルを手にするところまで、日本水泳界は強くなったのではないかと、私は勝手に連想しています。

ずいぶん我田引水のようですし、実際にこのような「言葉」の変化を、選手やコーチ陣が意識的に行っていたのかどうかという検証を、私は行ったわけではありません。

しかし、陸上100メートル走の「9秒の壁」でも、フルマラソンの「3時間の壁」でもそうですが、いったん「それが“目標”である」と選手が認識したあとは、日々の練習での「自己ベストの追求」を選手は目指しているのではないかと、私は勝手に想像しています。

今回の「比べることの“行為”」にまつわる「ブログ」をご理解いただくために、この「お話」も「情報提供」として掲載することに致しました。

自分自身を“肯定的にとらえられるようになるために、今回の「ブログ」が少しでも参考なれば、とてもうれしく思います。

タイトルとURLをコピーしました