
「ブログ(その1)」を読んで、自分も確かに“向上心”が人一倍強い人間だと思いました。しかし、そのことを認めて、他人と比べたくなる気持ちをやり過ごそうとしたのです。でも、どうしても比べることが止められず、相変わらず劣等感に苦しんでいます。解決する何かよい方法がありませんか?

・「ブログ(その1)」でお話ししましたように、「比べてしまうこと自体を否定しないで、それを自分の“持ち味”として、肯定的にとらえてみること」を、早速実践されたのですね。すぐに試されたのは、とても立派なことだと思います。
・しかしそれでもやはり、劣等感におちいってしまう自分自身を責めてしまって、つらい思いをされているのですね。
・あなたの問題は、比べる“対象”を「自分の過去」にすることができずに、どうしても「他人」をその対象として選んでしまうことにあるようです。
・そこで今回は、「他人」を対象として「自分」と比較してしまうときに、メンタルコンディションをさらに悪化させてしまう“原因”と、その“解決方法”について考えてみたいと思います。
自分が他人と向き合ったときに起きること。
私たちが一人でいるときは、この「私」には比べる“対象”がいません。
このとき「私」は、「比べる」ということを行いませんから、「私」の心も乱されることはないので、「私」は平穏な気持ちでいられることでしょう。
「図」で表すと次のようになります。

この「図」には、「私」とその横に「一本の線分」が描かれています。この「一本の線分」は、「“私”自身」を表しています。
今、「私」が自分自身を眺める場面をこの「図」を使って説明すれば、「私」がこの「一本の線分」を眺めている場面と言うことになります。
「私自身」を表す「一本の線分」に対して、「私」が特に何の問題も感じていなければ、「私」はこの「一本の線分」を、ただ眺めているだけになりますから、「私」の心が乱されることはないわけです。
さてここで、このような状態にある「私」の前に、他人である「Xさん」が現れたとしましょう。
この「Xさん」も同じように、「“Xさん”自身」を「一本の線分」で表すことができますから、「私」が「Xさん」と出会った場面は、次の「図」のようになります。

すでにお話ししましたように、「私」は「私自身」に対して特に何の問題も感じていないので、自分自身を眺めたときにも、心の動揺などは起きていない状態にありました。
このような「私」が「Xさん」に出会って、「“Xさん”て、どんな人なのか?」を知ろうと思ったとき、「私」は、「Xさん自身」を表す「一本の線分」を眺めることになります。
このとき「私」は、「Xさん自身」を表すこの「一本の線分」の“全体”を、特に何の心の動揺も起こさずに眺めることでしょう。
この「私」が、何らかの“コンプレックス”を持っていたとしたら…。
ここまで述べてきた「私」は、「私自身」をすべて受け入れられている「私」として描いてきました。
「自分自身」を受け入れられる「私」は、この「私自身」を表す「一本の線分」を眺めたときに、特に問題を感じずに「一本の線分」の“全体”を眺めることができていました。
ところがここで「私」が、自分の中の「ある事柄」を受け入れられない「私」であったとしたら、「私」と「一本の線分」はどのように描かれるでしょうか。
以下では、このことについて考えてみましょう。
この場合、「私自身」を表す「一本の線分」上に、「受け入れられない部分」があると言うことになります。
この「受け入れられない部分」とは、「気にしている“事柄”」や、いわゆる「“コンプレックス”に感じている“事柄”」と言った、「自分の心の中に“劣等感”を沸き上がらせる何らかの“わだかまり”」です。
そのような“わだかまり”には、具体的にどのようなものがあるでしょうか。
たとえば、それは:
- 自分の“容姿“や“スタイル”と言った“身体”にまつわること。
- 自分の“学歴”や“経歴”と言った“個人史”にまつわること。
- 自分の今の“才能”や“技能”と言った“能力”にまつわること。
- 自分の今の“収入”や“財産”と言った“お金”にまつわること。
- 自分の今の“職業”や“勤務先”と言った“所属”にまつわること。
- 自分の“家族関係”や“家族状況”と言った“血縁”にまつわること。
- 自分の今の“人気”や“名声“と言った“社会的評価”にまつわること、など。
ここに挙げた項目以外にも、「“自分自身”に関する“事柄”」で、自分として納得がいっていなかったり、受け入れられていなかったり、劣等感に感じていたり、他人に触れられたくなかったりするものが、挙げられるかもしれません。
それらの「項目」の中のどれか“一つ”を、とりあえず「項目A」と表現することにしましょう。
すると、どうなるでしょうか。次の「図」を見て下さい。

この「図」では、「私」が「私全体」の中の「項目A」に対して“わだかまり”を感じていて、常に「私」が「項目A」に対して、気にしているところを表しています。
このような状態にある「私」が「私自身」を表す「一本の線分」を眺めたとすると、「私」はいつもこの「項目A」の部分が気になり、それに気づくと、そこで心が動揺してしまうために、「私自身」を表す「線分全体」を眺めることができなくなってしまう状態におちいってしまうのではないでしょうか。
また、このような体験をした「私」は、これ以上心を動揺させたくないために、あえて「項目A」を見ないようにして、その後の人生を過ごしていくかもしれません。
“コンプレックス”を持っている「私」が、「他人」に出会ったとき。
「私」は「私全体」の中の「項目A」に対して、常にとても過敏になってしまっていますから、このような「私」が「Xさん」と出会ったとなると、「私」はどのように反応するでしょうか。
きっと、「Xさん」に出会った「私」は、「Xさん全体」を眺めることなどせずに、「“Xさん”の持っている“項目A”はどのようなものか?」が気になって、「Xさん」に会ったそばから「Xさん」の「項目A」に注目してしまうのではないでしょうか。
それを表したものが、次の「図」です。

例えば、「私」が自分の「身体的なこと」を気にしていれば、初めて会った「Xさん」なのに、「私」はきっと「Xさん」の「身体的なこと」に目が行くでしょう。
あるいは、「私」が自分の「学歴」や「職業」に対して“引け目”を感じていたら、初めて会った「Xさん」の「学歴」や「職業」が気になって、「Xさん」からそれを聞き出そうとするかもしれません。
このような反応を「私」がするのは、「私」がもともと気にしていた「項目A」に対して、「Xさん」と「優劣」を付けたくなるからではないでしょうか。
例えば、「私」が自分の「項目A」(例えば、年収や学歴)に対して、すでに何らかの「引け目」を感じていた場合で考えてみましょう。
このときに、「Xさん」の「項目A」(年収や学歴)と「私」自身の「項目A」(年収や学歴)を比べてたら、「私」が「自分の方が“勝ったな”」と思えたとすれば、「私」がこれまでに感じていた「項目A」(年収や学歴)に対する“引け目”は、多少薄らぐかもしれません。
ところが、「私」が「Xさん」の「項目A」と自分のものとを比べてみて、自分の方が“劣って”いたことが分かったとすれば、「私」が「項目A」に対してもともと感じていた「引け目」は、さらにいっそう強まってしまうことでしょう。
「図」で示せば、こんな感じでしょうか。

このように、「私」が「項目A」で「Xさん」に「“負けて”しまった」と言うことが、「Xさん」に対する「劣等感」として「私」に認識させられてしまうかもしれません。
こうなれば、「項目A」と言う「項目」に対して、「私」はさらにいっそう過敏になってしまうことでしょう。
さらにこうなってしまった「私」は、その後に誰か他人と出会うたびに、「“項目A”で自分はこの相手に勝てるのか、負けてしまうのか?」と言ったことばかりが気になってしまうことも、決しておかしなことではありません。
実際、全く別の人物である「Yさん」と出会ったとしても、「私」が気になっている「項目A」に対して、「私」が最初から関心を向けてしまうのも、当然のことでしょう。

しかもその「項目A」で、再び「私」が負けてしまったとしたら:

「私」は、この「項目A」のことが、ますます気になってしまうのではないでしょうか。
こうなれば、これ以後の対人関係場面で、「私」は“同じ反応”を繰り返してしまうことにもなりかねません。
その結果、「私」がその後に誰に出会ったとしても、「項目A」のところばかりに関心が向いてしまって、その「項目」でしか相手を見なくなってしまうことでしょう。

ところで、このようなことを繰り返している「私」に、このときいったい何が起きているか、お分かりでしょうか?
それは、「視野狭窄(きょうさく)」という“現象”です。
「視野狭窄」とは、「対象」を見つめる「視野」が、まさに狭まっている“状態”のことを言います。
実はこの「視野狭窄」が、今回の“キーワード”なのです。

自分自身に対して何の“わだかまり”のない「私」が、「他人」と向き合っていたときに、「私」はその人の「全体」を見ることができていました。
ところが、いったん「項目A」が気になると、対人関係場面で「私」は、「項目A」しか見えないところまで、自分の「視野」をキューと狭めてしまいます。
こうなると、「私」はその後に誰と会っても「項目A」しか見えない“視野狭窄”の状態になっていますから、この「項目A」についてだけで相手と自分とを比べてしまい、その「項目」での勝ち負けを気にしてしまうのです。
・他人が気になっているときは、他人の「全体」を見ずに、他人の「一部分」だけに“注意”が向かいがちです。
・このときに起きている“状態”が、「視野狭窄」であると言うことを、知っておきましょう。
「視野狭窄」におちいっていると気づいたら…。
自分に「視野狭窄」が起きていると気づいたときには、どうすればよいのでしょうか。
やるべきことの第一は、「視野狭窄」を起こした“原因”である「項目A」が実際何であるかということを、しっかりと吟味することです。
そして「項目A」が特定できたなら、その「項目A」で自分が他人に勝てるように、努力してみると言うことも、「比べること」を止めるための解決方法としては有効でしょう。
しかしながら、「項目」によっては、自分がいくら努力してもその項目では、他人に勝てないこともあります。
「項目」の中には、自分ではどうすることもできないものもあるからです。
では、そのようなとき、いったいどうすればよいのでしょうか。
それは、「自分として“今やれること”をやる」と言うことです。

この「やれること」として、ぜひとも試してみてもらいたいのが、「“視野狭窄”そのもの止める」ということ、言い換えれば「“視野”をあえて“広げて”いくこと」なのです。
その具体的な手順をお話ししましょう。
「相手」と対峙したときに、「相手」と「自分」とを比べる「視野の“間口”」が、「項目A」に固定されていて、その「狭い“間口”」からしか「相手」を見ていないといったことはないかを、まずは吟味してみましょう。
もしも「視野」が「項目A」に固定されていたとしたら、「視野」はそれ以上「開いていない」のですから、「項目A」以外を見ることができないのも当然です。
それが分かれば、あなたが“やるべき”ことは、もうお分かりでしょう。
それは、相手と自分とを比べる「視野の“間口”」を、あなたが意識的にもっと“広げて”みることです。
つまり、「比べる項目」を「項目A」だけではなく、「項目B」や「項目C」へと広げていって、他の項目についても、自分と相手とをどんどん比べてみることなのです。
・他人と自分とを比べるときは、比べようとしている「一つの項目」に注意が集中するため、その「一つの項目」だけを見がちになり、「視野」はそこに絞り込まれ、結果的に「視野狭窄」におちいってしまうのである。
・これを防ぐためには、「視野」をあえて広げていくことである。
このことを「図」を使って、詳しく説明しましょう。

確かに「私」は、「項目A」では「Xさん」に負けてしまった。


じゃあ、もう「項目A」にはとらわれないことにしよう。
「視野狭窄」はよくないと言うから、「間口」を広げて
別の「項目B」で比べたらどうなるだろうか?



うーん。悔しい。また、負けちゃった。
でも、「視野狭窄」にならないよう「項目B」にはとらわれないで、
「間口」を広げて、「項目C」ではどうなんだろう。
「項目C」で「Xさん」と比べてみよう。



やったー。勝ったぞう!
でも意外。
「Xさん」と比べて負けてしまうと思っていたのに、
「項目C」では、勝てるんだ!

もしもこのように、「視野狭窄」におちいらないために、
相手と自分とを比べる「項目」をどんどん広げていったら、
どんなことになるでしょうか?



・「項目A」で負けてしまったといって落胆したとしても、
「視野狭窄」におちいることなく、「項目B」ではどうか、
「項目C」でははどうか、さらに…、「項目M」ではどうかと、
相手と「比べる項目」をどんどん増やしていきましょう。
・「視野の“間口”」を広げていけば、「視野狭窄」にならず、
相手の「全体」を見ることができます。
・また、そのことで自分自身の「全体」を眺めることもできるようになるでしょう。
ここまでをまとめると、次の「図」のようになります。

・他人と自分とを比べたくなったときは、一つの項目だけでなく、比べる項目を広げて、他人と自分とを、いろいろな項目で比べてみましょう。
・いろいろな項目で他人と自分とを比べてみると、自分が“全敗している”などと言うことはなくて、結構自分の方が勝っている項目があったりもするものです。
実際、カウンセリングに来られた方のお話を伺っていると、ご本人は気づいていなかったり、その「項目」を重視していなかったりしているのですが、間違いなく「ある項目」では、他人に対して“勝って”いる「項目」をお持ちの方が、意外といらっしゃるものです。
たとえば、「経済的に引け目を感じている」とおっしゃって来談された方なのに、お話を伺っていると、その方の「家族関係がうらやましいほど良好」と言う方がいらっしいます。
しかしその一方で、この方とは真逆の方が来談されることもあります。
たとえば、「ものすごい財産をお持ちなのに、いつも家族間のトラブルが絶えない」と言った方です。
人は誰でも比べる項目を一つにして、その項目で自分と他人との優劣をつけてしまうために、一つのことの優劣の結果で悩まれてしまうのでしょう。
「比べる項目」を増やしていって、「項目全体」で比べてみれば、「“勝負”は意外と五分と五分」と言うクライエントさんに、私はこれまでしばしば出会ってきました。
ご本人もそのことに気づくと、「何で今まで自分は他人と比べて、“勝った”とか“負けた”と言って騒いでいたのか」とか、「“人と比べてしまう”ことそのものが、“意味のない”ことだった」とおっしゃった方も、結構いらっしゃいました。
最後に一言。
これまで「2回」にわたって、対人関係場面で「自分」と「相手」とを比べてしまうことにまつわる問題について、考えてきました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
「比べてしまうこと」についての今回の解決方法は、「比べてしまうこと」そのものを止めるのではなく、比べてみる「項目」を意図的にどんどん増やしてくことを推奨するものでした。
実際、「比べる項目」を意識的に増やしていくと、「相手」に勝てる意外な「項目」を自分が持ていると言うことに気づいたりもするものです。
それでも、中には「そんな項目で勝ったって、意味がない!」と思われる方が、いらっしゃるかもしれません。
しかし、あなたがその項目で少なくともその人には「勝った」のですから、その“事実”は受け入れてもよいのではないでしょうか。
むしろ私としては、あなたがその項目で他人に「勝てた」のですから、この「勝てる項目」こそあなたの「持ち味」ではないかと言いたいのです。

ところで、もしかしたらあなたは、何らかの理由で「ある項目」で他人に負けてしまったと言うことを、いやと言うほど思い知らされてしまった“苦い経験”があるのかもしれません。
このような経験をお持ちの方の中には、その「“一つ”の項目」で負けただけなのに、「自分と言う人間は、“すべての項目”で負けてしまっている人間なのだ」と言う考えを、お持ちになってしまわれている方もいらっしゃいます。
もうお分かりだと思いますが、このような「考え」を持ち続けさせているものが、今回の“キーワード”である「視野狭窄」なのです。
自分自身を眺めるときに、「自分の全体」を見ないで、自分のある「一つの項目」だけをみて、「自分は“負けている”」という「狭い考え」におとしいれてしまうのが、「視野狭窄」の恐ろしいところでした。
この「視野狭窄」が起きていると、他人を見るときも「他人の全体」を見ないで、他人の「一つの項目」だけでしか見られない“狭い間口”を通して、他人を評価してしまうことになりがちです。
相談室に来談される方で、生きづらさを訴えられる方の中には、自分や他人を眺めるときに、このような「視野狭窄」の状態に、気づかぬうちにおちいってしまわれる方が、これまでにも結構いらっしゃいました。

「視野の“間口”を広げる」ことは、もしかしたら「とても“怖い”ことだ」と、あなたは感じられているかもしれません。
しかし、あなたを“肯定的”に受け止めて下さる方とぜひとも一緒に、まずは「自分自身を“全体”として眺める作業」をしてみてはどうでしょうか。
そして、自分を構成している「項目」の中で、何か一つでも、「その“項目”であれば、自分としては受け入れられる」と言うものを見つけてみることから、始めることをお勧めします。
自分自身を少しでも受け入れることができるようになると、「他人と自分とを比べたい」と言う気持ちから、解放されたりもするものです。
いずれにせよい、「比べたい」と言う気持ちが自分に起きていることに気づいたときには、まずは「自分に今、“視野狭窄”が起きていないか?」を振り返ってみることから、始めて頂ければと思います。
このブログが、少しでもあなた抱える「対人関係場面での“つらさ”」の軽減に役立ったとしたら、とてもうれしく思います。
