自分が自分自身に語りかける「言葉」の影響について、ブログ「言葉の影響1」でお話し致しました。
今回は、この自分自身に語りかける「言葉」が、自分の心に与えてしまう「もう一つの影響」について、考えてみることにしましょう。
「言葉の影響1」の“振り返り”から始めましょう。
私たちの使う「言葉」は、「外言(がいげん)」と「内言(ないげん)」に分類されることを、前回のブログでお話ししました。
再度、確認してみましょう。
「外言」とは……:
人と人との間、つまり個人間(こじんかん)での“情報”のやり取りで使われる「コミュニケーションの道具」としての言葉のこと。
「内言」とは……:
一人の人の頭の中、つまり個人内(こじんない)での“情報”のやり取りで使われる「考える道具」としての言葉のこと。
と言うことでした。
“2種類”の働き:「“指示・命令”する言葉」と「“叙述・描写”する言葉」。
ブログ「言葉の影響1」では、この「内言」がわしたちの心に与える影響として、「“指示・命令”する言葉」を取り上げました。
今回は、これ以上に深刻なダメージを私たちに与えてしまう恐れのある「内言」について、考えてみます。
それは、「“叙述・描写”をする言葉」としての「内言」です。
しかし、この「“叙述・描写”をする言葉」の影響を理解して頂くために、今回も「外言」の場合について先に考えてみた方が、分かりやすいと思います。
そこで、「外言」の場合での“叙述・描写”の影響について、お話ししましょう。
「他人」を“叙述・描写”するとき…。
最初に「言葉」の整理をしておきます。
「“叙述・描写”する言葉」とは……
「ある人物のことを、他人が“叙述・描写”するときに使われる言葉」のこと。
となります。
ところで、人というものは何人か集まると、とかく“他人”のことについて、いろいろと何か言いたがるものです。
いわゆる「うわさ話」というものは、人が複数人集まったときに、前述した「“叙述・描写”する言葉」を使って、ターゲットとなった誰か他人のことをについての“情報”のやり取りをすることです。
これが「外言」であるのは、もうお分かりのように、“情報”となる「人物」の“うわさ”を、そこに集まった人たちの“間”で、実際にやり取りするときに使われる“言葉”だからです。

以下のお話では、その“うわさ話”のターゲットとなる「人物」を、「〇〇さん」として表記することにします。
そして、集まってうわさ話する人たちは、この「〇〇さん」についての情報のやり取りを、その場で行っているわけです。
このようなうわさ話をしている場面では、「〇〇さんて、~だよね」と言う「文章パターン」が、しばしば使われるのではないでしょうか。
これは:
「他人」を“叙述・描写”するときの「文章パターン」としては……:
「〇〇さんは、~だ」がしばしば使われます。
と、整理できます。
「“叙述・描写”する外言」の場合を考えてみましょう。
「“叙述・描写”する外言」の「文章パターン」として、この「〇〇さんは、~だ」が使われたときに、どんなことが起きるかを、場面に沿って考えてみましょう。
「女子たち」が、「Aくん」のことで「うわさ話」をしている場面を、「2つ」用意しました。

最初は「場面1」です:
このときこの二人が、「文章パターン」の「~」のところに、「かっこいいよね」とか「頼りになるよね」と言う言葉を入れて、「Aくん」のうわさ話のやり取りをしていたとすると、その後どんな展開が起きるでしょうか。
例えば:

Aくんて、かっこいいよね。

そうだよね。それにさあ、Aくんて、頼りにもなるよね。
女子たちがこのようなうわさ話をしているときに、このうわさ話の当事者である「Aくん」が、たまたまこのやり取りを耳にしたとしたら、どうなるでしょうか。
Aくんは:

あれ、それって、俺のことを言ってくれているのかな!?

周りの人は、俺のことを、“かっこいい”とか“頼りになる”と思ってくれているんだ!
と、考えるかもしれません。
そうするとAくんは、きっとこのあと、とてもいい気分になることでしょう。

次は「場面2」です:
ところが別の機会に、この同じ「女子たち」が、次のようなやり取りをしていたとしましょう。
女子たちは:

Aくんて、ドンくさいよね。

それに、ちょっとずるいところもあるよね。
この「うわさ話」を偶然耳にした「Aくん」に、このあとどんなことが起きるでしょうか。
もしかしたらAくんは:

それって、もしかしたら、俺のことなのか!?

周りの人は俺のことを、“ドンくさい奴だ”とか、“ずるい人間だ”とかと、思っているのだ!
と考えるかもしれません。
このような考えがAくんの頭の中で巡り始めれば、きっとこのあとAくんは、悲しき気持ちになってしまったり、腹立たしく思ってしまったりして、Aくんの心はとても動揺してしまうに違いありません。

私たちは、自分自身への「自信」や「確信」が弱まっているときや、気持ちが沈みがちのときは、どうしても、「周りの人は自分のことを、どう思っていのだろうか?」と言うことが気になってしまうものです。
他人の「外言」である「うわさ話」を耳にしたときに、「それって、自分のことなのかもしれない」とか「自分のことを、みんなはそう言っているんだ」と推測して考えてしまう傾向は、誰にでも起きるものです。

このようなときに、他人が使った「文章パターン」の「〇〇は、~だ」から、この「~」のところの言葉だけを拾い上げ、それを自分に対する「“叙述・描写”する外言」として理解してしまいます。
とりわけ、他人の発する「“叙述・描写”する外言」が「ネガティブの内容」を含むときほど、それを聞き取った私たちは、過剰に反応してしまうものです。
自分自身を“叙述・描写”する「内言」とは…?
これまでは私たちが「他人」のことを“叙述・描写”して、それを私たちが誰かとやり取りしている場面を考えてきました。
しかし私たちが“叙述・描写”するのは、いつも「他人」に対してばかりではありません。
私たちは「自分自身」のことについても“叙述・描写”することがあります。
ここで、“叙述・描写”した「自分自身」のことを他人に伝えれば、これは「“叙述・描写”した言葉」を他人とやり取りとなりますので、これは「外言」となります。

しかしここでは、私たちが「自分自身」のことを“叙述・描写”し、それを誰か他人に伝達することなく、自分の頭の中で思いめぐらせている場面を考えてみましょう。
このとき「自分自身」のことを「“叙述・描写”した言葉」は、自分の「内側の世界」に留まっていますから、これは「内言」となります。
整理してみましょう。
「“叙述・描写”する“内言”」……
「自分自身のことを、自分の頭の中で“叙述・描写”するときに使われる言葉」のこと。
となります。
この「“叙述・描写”する内言」が、気をつけないと、私たちの心に大きな影響を与えてしまうことがあるのです。
このことを、さらに詳しく見ていきましょう。
自分自身の“叙述・描写”するときの「文章パターン」とは…?
「外言」を説明した際に、「他人」を“叙述・描写”する「文章パターン」として、「〇〇て、~だ」を紹介しました。
今回は「自分自身」を“叙述・描写”する「文章パターン」になりますから、この「〇〇」のところが、ここでは「私」とか「自分」となります。
つまり、自分自身を“叙述・描写”する「文章パターン」は、「私は、~だ」とか「自分は、~だ」となり、この「~」のところに、「“叙述・描写”する言葉」が入るわけです。
まとめましょう。
自分自身を“叙述・描写”するでの「文章パターン」では……:
「私は、~だ」とか「自分は、~だ」となります。
となります。
ここまでを整理しておきましょう。
私たちが:
- 「自分自身」について「“叙述・描写”する言葉」を、自分の「外側の世界」に発すれば、それは「外言」になります。
- 「自分自身」について「“叙述・描写”する言葉」を、自分の「内側の世界」、つまり自分の心の中に留め置いたとすれば、それは「内言」となります。
と言うことです。

「外言」であれ「内言」であれ、自分が自分自身について「“叙述・描写”する言葉」ですから、この「文章パターン」の「私は、~だ」や「自分は、~だ」の「~」のところが、「ポジティブの内容」のものであれば、いずれにせよ自分にとってはとても有益なものになります。
たとえば、「Aくん」が:

・自分て、結構すごいもんだ。
・俺って、みんなの人気がある。
・私は、他人から信頼されている。
このようにに「文章パターン」の「~」が「ポジティブの内容」であれば、Aくんは気分もよくなるし、心も明るくなるでしょう。

これらの「言葉」はAくんに有益な影響を与えているので、何の問題もありません。
「他人」を「ネガティブな内容」で“叙述・描写”するときでも、「内言」であれば大丈夫。
あなたが「〇〇は、~だ」の「文章パターン」を「内言」として使うのであれば、あなたの心の中は誰からも覗かれないので、あなたが「他人」をどのように“叙述・描写”しようとも、直接的な対人関係上の問題は起きないのです。
つまり、「他人」を“叙述・描写”するときに使う「文章パターン」の「〇〇は、~だ」の「~」のところが、「ネガティブの内容」であったとしても、この「文章パターン」が「内言」として自分の心の中で巡っている限り、起きることはないと言うことです。
「外言」を説明したときに問題となったのは、「文章パターン」の「〇〇は、~だ」を「女子たち」が、自分らの口から外に向けて発してしまい、しかもそれを、“叙述・描写”されたターゲットの人物である「Aくん」に知られてしまったからでした。
ここまでを、具体的な「場面」に沿って確認してみましょう。
例えば、「Aくん」が「ある人物」の「X(エックス)」に対して、とても「ネガティブな感情」を抱いたとしましょう。

するとAくんは心の中で、「X」のことを次のように“叙述・描写”するかもしれません:

・「X」は、まったく価値のない人間だ。
・「X」は、まるで役に立たない人間だ。
・「X」は、本当にひどくて嫌な人間だ。
皆さんの中にも、これまでの人生を振り返れば、だれか「他人」に対してこのように思ったことがあるのでないでしょうか。
しかしあなたが、仮にこのように思ったとしても、実際にそのようなひどい言葉を、直接その当人に向かって発することは、よほどのことがない限りしないのではないでしょうか。
なぜならば、私たちは、日常生活場面では、表向きはあくまで人間関係が悪くならないように気をつけるからです。
ここまでをまとめましょう:
・「他人」を“叙述・描写”するときに使う「文章パターン」の「〇〇は、~だ」の「~」のところに「ネガティブの内容」を入れたとしても、この「文章パターン」をあなたの心の中で「内言」として使っている限り、“〇〇”とあなたとの間で、直接的に大きな問題が起きることはありません。
・「内言」であれば、あなたが“〇〇”を直接的に「言葉」で傷つけていないので、表面的には人間関係がこじれることはありません。
となります。
自分の心に悪い影響を与えてしまう「内言」とは…?
同じ「“叙述・描写”する言葉」で、しかもそれが「内言」であったとしても、それがいつも問題がないかと言うと、そうとは言えません。
気をつけないと深刻な問題を起こしてしまう場合があるのです。
すでにお話ししましたように、「外言」であれ「内言」であれ、自分が自分自身について“叙述・描写”するときの「文章パターン」の「私は、~だ」や「自分は、~だ」の「~」のところが、「ポジティブの内容」のものであれば、自分にとってはとても有益なものですから、特に問題はありません。
ところが、私たちはどういうわけか、自分自身に不利益を与えてしまうような、いやそれ以上に、自分自に害を与えたりおとしめたりするような「言葉」で、この「文章パターン」の「~」を埋めてしまうことがあります。
もうお分かりのように、「文章パターン」の「~」の部分に、「ネガティブの内容」の言葉を入れてしまうときです。
たとえば:

・自分なんて、まったく価値のない人間だ。
・自分は、まるで役に立たない人間だ。
・自分は、本当にひどくて嫌な人間だ。
と言った「“叙述・描写”する言葉」を、自分の頭の中で考え、それを「内言」として自分の頭の中で巡らしてる場面を考えてみましょう。
「外言」であれば、私たちが「〇〇」を「ネガティブの内容」で“叙述・描写”したとしても、「〇〇」自身は「~」の内容を知ることがありませんから、「〇〇」は傷つかないのです。
ところが、「内言」は、一人の人の頭の中、つまり個人内(こじんない)での“情報”のやり取りで使われる「考える道具」としての言葉です。
そのため、私たちが自分自身を“叙述・描写”するために「文章パターン」の「自分は、~だ」を使い、しかも「~」が「ネガティブの内容」であったとしたら、どうなるでしょうか。
このとき私たちは、「自分は、~だ」の「~」が「ネガティブの内容」であることを、当然「自分」は知ってしまいます。
これはまさに、自分自身でその「ネガティブの内容」を自分自身に投げつけていることともいえるでしょう。
前述の例で言えば、
「Aくん」は自分自身に対して:
- 「価値のない人間だ」と言う言葉を投げつけている。
- 「役に立たない人間だ」と言う言葉を投げつけている。
- 「ひどくて嫌な人間だ」と言う言葉を投げつけている。
と言うことになります。
しかも、「内言」ですから、これらの「言葉」が、Aくんの頭の中で巡っている限り、この言葉がずっとAくん自身を攻撃し続けることにもなります。
Aくんがますます気持ちが沈んでしまい、自己嫌悪になってしまうのは、決しておかしなことではないのです。
“相談場面”での気づき。
自分の頭の中で自分自身を“叙述・描写”するときに、それが「ネガティブな内容」であるときは、とにかく注意が必要です。
私たちが「他人」をどんなにひどい「ネガティブな内容」で“叙述・描写”したとしても、それが私たちの頭の中に「内言」としてあるときは、問題ありませんでした。
それは、“叙述・描写”された当事者は、自分がどのように“叙述・描写”されているかを知ることができないからです。
ところが、私たちが自分自身を「ネガティブな内容」で“叙述・描写”すると、その内容を私たち自身は当然知ってしまいます。
これは私たちが、自分自身に向けて「ネガティブな内容」の「言葉」を投げつけているのと、同じことになります。

自分自身のことで悩まれているクライエントさんに、これまでにも相談室でお目にかかることがありました。
このようなクライエントさんが「“叙述・描写”する言葉」を使われたときに、多くのケースで同じような傾向が見られました。
それは、
- 自分自身に対して「“叙述・描写”する言葉」を使うときは、他人に対してよりも、「ネガティブな内容」の表現がきつくなる。
と言うものです。
確かに「他人」に対して「〇〇さんは、~です」と言う表現で、他人を批判することをクライエントさんも行います。
ところが、自分自身に対して、「自分て、~なんです」と表現するときに、この「~」のところに入る「ネガティブな内容」が、「他人」のときと比べてとてもきついのです。
お話を伺っていると、「そんな風に“他人”に対しては表現しないだろう」と感じてしまうほど「きつい言葉」で、クライエントさんは自分自身を平気で“叙述・描写”するのです。
言い換えれば、「他人にはきつい言葉を直接投げつけることはないだろう」と感じさせるクライエントさんでも、自分自身に対しては躊躇なく「きつい言葉」を投げつけて、自分自身の攻撃してしまうのです。
そのようなクライエントさんに対して、カウンセラーとして私は次のようなことを訊いてみることがあります。
それは:

あなたのお話を伺っていると、他人には「きつい言葉」を投げかけないのに、どうして他人に対しては使わないような「きつい言葉」を、あなたは自分に対して使われるのでしょうか?
と言う質問です。
このような問いかけに対して、クライエントさんの中には、びっくりされた顔をなさる方もいらっしゃいます。
自分が自分自身に対して「きつい言葉」を投げかけていることを、これまでまったく気付かれていなかったからかもしれません。
しかしそのあと、クライエントさんの中には、「自分がなぜ、自分自身に対して、きつく当たってしまうようになってしまったのか?」と言う「いきさつ」を、語って下さった方もいらっしゃいました。
まとめ。
このブログをお読みくださった皆さんの中で、自分自身を「ネガティブな内容」で“叙述・描写”していたことに気づかれた方は、ぜひとも次のことを自問自答して頂ければと思います。
それは:

・自分は頭の中で、「きつい言葉」を使って、自分自身を攻撃していないだろうか?
・いま、自分自身を“叙述・描写”するために使っている「言葉」は、自分がこれまでに「他人」に対しても使っていたレベルの言葉だろうか?
・他人に対しては使わない「ネガティブな内容」の言葉を、自分を“叙述・描写”するときに、どうして平気で使ってしまうのだろうか?
・自分はどうして、こんなに「きつい言葉」を使って、自分を“叙述・描写”してしまうのだろうか?
と言ったものです。
私たちは、気づかないうちに「自分自身」に対して、「ネガティブな内容」である「きつい言葉」で攻撃してしまうことがあります。
自分で自分を「言葉」でもって攻撃することは、気をつけないと「癖」になってしまうこともあるのです。
このような「癖」がつかないためには、頭の中を巡る「内言」の中で、自分自身を「“叙述・描写”する言葉」が「ネガティブな内容」であるかどうかを吟味することから始めましょう。
また、そのような「ネガティブな内容」の言葉が、無意識のうちに頭の中を巡らないように、心をリセットすることをお勧めします。
そのための方法としては、すでにこのブログの中でも紹介した「マインドフルネス瞑想」が、役立つかもしれません。
※ブログ…【心の乱れから解放されたい人のために】:「鼻呼吸」を使って「マインドフルネス」を体験してみよう。
「他人」の発する「言葉」ばかりでなく「自分」の発する「言葉」からも、自分を守る必要があることをご理解いただけたとすれば、とても嬉しく思います。